葛飾北斎 ─ 「百歳まで描けば一筆一画が生きてくる」90年

ijin

ページコンテンツ

葛飾北斎 ─ 「百歳まで描けば一筆一画が生きてくる」90年

神奈川沖浪裏(あの有名な大波の絵)。

作者は江戸の絵師、葛飾北斎。

90 歳で永眠する間際、「あと 5 年あれば本物の絵描きになれたのに」と言ったと伝わります。

75 歳で「70 までの絵は取るに足らない」と言い切り、90 歳まで描き続けた男の生涯を静かにたどります。


1. 江戸・本所割下水の貧しい家に(1760〜)

1760 年(宝暦 10 年)、江戸本所割下水(現在の東京都墨田区)。

本名は川村時太郎、後に鉄蔵。

幼少期に御用鏡師・中島伊勢の養子となるも、本人は絵に夢中で、後年実家へ戻されたといいます。

6 歳ごろから絵を描き始め、14-15 歳で版木彫師の弟子に。

ここで版画の構造・技術を学んだことが、後の浮世絵師としての基礎となります。

19 歳、勝川春章に弟子入り、勝川春朗として浮世絵師デビュー。

役者絵・美人画から始めますが、勝川派の画風に飽き足らず、独自の道を模索し始めます。


2. 画号 30 回、改名癖(1779〜)

北斎は生涯で30 回以上画号を変えた人物としても有名です。

  • 春朗(1779-1794)勝川派時代
  • 宗理(1795-1798)琳派風
  • 北斎(1798-1810)── これが最も有名
  • 戴斗(1810-1819)
  • 為一(1820-1834)── 富嶽三十六景の時期
  • 画狂老人卍(1834-1849)── 晩年

引っ越しは生涯93 回と伝わります。

あまりに散らかすので、汚くなったら次へ移る、という変人ぶり。

食事も貧しく、買ったお菓子の包み紙まで描く対象にしました。

経済的にはずっと苦しく、晩年は娘お栄(葛飾応為)と二人で借家に暮らしました。


3. 富嶽三十六景(1830頃〜)

70 歳ごろから取り組んだ代表作が 『富嶽三十六景』(1831-1833 年頃)。

日本各地から見た富士山を、46 枚の連作で描いた風景版画シリーズ。

  • 第 1 番「凱風快晴」(赤富士)
  • 第 21 番「神奈川沖浪裏」(あの大波)
  • 第 33 番「山下白雨」(黒富士)

北斎が使ったのは、当時オランダから輸入された化学顔料ベロ藍(プルシアン・ブルー)。

あの「北斎ブルー」と呼ばれる鮮烈な青は、技術革新の産物でもありました。

『神奈川沖浪裏』は、世界で最も有名な日本美術作品のひとつ。

波の爪のような曲線、富士の小ささ、漁師たちの粒の小ささ ── すべて計算された構図です。


4. 北斎漫画、北斎の影響、ジャポニスム(1814〜)

1814 年から 30 年かけて出版された『北斎漫画』全 15 編、約 4,000 点の素描集。

人物・動物・建築・植物・妖怪・体操の動き ── 何でも描いた北斎版の百科事典。

19 世紀後半、ヨーロッパに大量に流れた『北斎漫画』が、ジャポニスムを引き起こしました。

  • モネは北斎の構図を学んだ
  • ゴッホは浮世絵を模写した
  • ドガは北斎の動きの捉え方に影響を受けた
  • ドビュッシーは『神奈川沖浪裏』を見て交響詩『海』を書いた

北斎自身が西洋に行ったわけではない。

しかし彼の絵が西洋に渡り、印象派の誕生を後押ししたのです。


5. 75 歳の宣言、富嶽百景跋文(1834)

1834 年、北斎は 75 歳で『富嶽百景』を刊行。

その跋文(あとがき)に、有名な宣言を書き残しました。

「余、六歳より物の形状を写すの癖ありて、半百の頃よりしばしば画図を顕わすといえども、七十年前の画きしものは、実に取るにたるものなし。」

「七十三歳にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟り得たり。」

「故に八十歳にしてはますます進み、九十歳にして猶(なお)その奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならんか。」

「百有十歳に到りては、一点一格にして生けるが如くならん。」

要約: 「70 までの絵は取るに足らない。80 でますます進み、90 で奥義に達し、100 歳で神域、110 歳で一筆が生きる」

75 歳でこれを宣言する執念。

そして実際に、90 歳まで筆を止めなかったのです。


6. 90 年の生涯(〜1849)

1849 年(嘉永 2 年)5 月 10 日、江戸の自宅で永眠。90 歳。

最期の言葉として伝わるのは ──

「あと 10 年、いや 5 年でもよい、命があれば本物の絵描きになれたのに」

90 歳でこれを言える執念。

辞世の句は 「人魂で 行く気散じや 夏野原」── 軽やかでひょうきんな別れ。

死後、北斎の名声は西洋で爆発的に広まり、現在では世界で最も知られた日本人芸術家のひとりになっています。


静かな余韻

「百歳になれば、一筆一画にして生けるが如くなるべし」

北斎の人生は、「上達への信頼」だけで支えられていた気がします。

75 歳で「70 まで取るに足らない」と言い切れる人は、自分の才能ではなく毎日の積み重ねを信じている人です。

90 歳まで描き続けた男が、「あと 5 年あれば本物になれた」と最期に言った。

これは絶望ではなく、永遠の途上を生きた人の素直な感想だと思います。

私たちが今日 1 行書く文章、1 つ作る料理、1 つ握る手も、その先に「まだ生きるが如く」がある。

北斎の青は、たぶんそういう励ましでもあるのです。


💬 本日のひとこと

「百歳になれば、一筆一画にして生けるが如くなるべし」

『富嶽百景』跋文。

75 歳で「まだ自分は本物ではない」と言い切る覚悟、そしてその先を信じる視線。

この一文が、あの 「神奈川沖浪裏」の青と同じ人から出てくるのが、北斎の不思議です。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました