アンネ・フランク ─ 隠れ家で日記を書いた15年

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アンネ・フランク ─ 隠れ家で日記を書いた15年

15 歳で命を落とした、ドイツ系ユダヤ人の少女。

彼女が 2 年と 1 か月、アムステルダムの隠れ家で書き続けた日記は、戦後世界 70 か国以上で翻訳され、ホロコーストを最も身近に伝える 1 冊になりました。

ここに記したのは、アンネ自身の声です。

15 年の生涯を、できるだけ静かにたどります。


1. フランクフルトのユダヤ人銀行家の娘(1929〜)

1929 年 6 月 12 日、ドイツ・フランクフルト。

父・オットー・フランクは銀行家、母・エディット、姉・マルゴット(3 歳上)。

ユダヤ系の中流家庭でした。

しかし 1933 年、ナチスが政権獲得。

ユダヤ人迫害が始まる中、オットーは家族を守るためオランダ・アムステルダムに亡命。

ペクチン会社「オペクタ」を経営し、しばらく平穏な日々を送ります。

アンネは陽気で、おしゃべりで作文が得意な少女。

モンテッソーリ教育の小学校で、級友からも先生からも愛されていました。


2. アムステルダムでの少女時代(1933〜1942)

1940 年 5 月、ナチス・ドイツがオランダを侵攻。

アンネ 11 歳。

公園で遊ぶことも、映画館に行くことも、普通の学校に通うことも禁止される。

ユダヤ人専用の学校に転校、「ユダヤの星」のバッジを着けて歩く日々。

そして 1942 年 6 月 12 日、13 歳の誕生日。

父からのプレゼントは、赤と白のチェック柄のサイン帳。

アンネはそれを日記として使い始めます。

最初のページに、こう書きました。

「キティへ ─ 私の親友になってください」


3. 隠れ家へ(1942年7月6日〜)

1942 年 7 月 5 日朝、姉マルゴットにナチスの召喚状が届く。

強制労働収容所への移送です。

家族は翌日 7 月 6 日朝、雨のなかを父の会社のあるプリンセン運河 263 番地へ移動。

ここの会社事務所裏の本棚で隠された 4 階が、家族の隠れ家でした。

7 月 13 日、ファン・ペルス家 3 人(夫婦と息子ペーター 16 歳)が合流。

11 月 16 日、歯科医フリッツ・プフェファーも加わる。

8 人が、約 50 平方メートルの隠れ家で 2 年 1 か月過ごすことになります。

支援者は 4 人。

ミープ・ヒース、ベップ・フォスキュイル、ヤン・ヒース、ヨハネス・クライマン ── 危険を承知で食料・本・新聞を運び続けてくれた英雄たちです。


4. 日記の中の少女(1942〜1944)

「キティへ」と呼びかける手紙形式。

全 3 冊のノートに、アンネは延々と書きました。

書いた内容は、思春期そのもの。

  • 両親への反発(特に母エディットへの厳しい記述)
  • 姉マルゴットへの嫉妬と愛
  • ファン・ペルス家との衝突
  • ペーターへの恋愛感情
  • 作家になりたい夢
  • 戦争への怒り
  • ユダヤ人として生まれた意味

特筆すべきは、1944 年初め頃から、アンネが日記を「将来出版するために」書き直し始めたこと。

彼女は作家を志していたのです。


5. 逮捕、アウシュビッツ、ベルゲン・ベルゼン(1944〜1945)

1944 年 8 月 4 日午前 10 時頃。

密告者の通報で、ナチス親衛隊(SS)が隠れ家を急襲。

8 人全員逮捕。

行き先は アウシュビッツ強制収容所。

父オットーと母エディットは女子棟・男子棟に分けられ、アンネとマルゴットは姉妹で行動を共にします。

1944 年 10 月、姉妹はベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送。

栄養失調と発疹チフスが蔓延する地獄。

1945 年 2 月か 3 月、姉マルゴットがチフスで死亡。

数日後、アンネも続いて死亡。15 歳と 8 か月。

英国軍がベルゲン・ベルゼンを解放したのは、わずか2 か月後の 1945 年 4 月 15 日。

あと少しで生き延びられたのです。


6. 父オットーの仕事(1945〜)

8 人の隠れ家住人のうち、生還したのは父オットーただ一人。

戦後、アムステルダムに戻ったオットーは、ミープから日記の束を受け取ります。

ミープは隠れ家急襲の直後、床に散らばった日記を密かに保管していたのです。

オットーは娘の言葉を読んで衝撃を受け、出版を決意。

1947 年 6 月 25 日、『Het Achterhuis(後ろの家)』としてオランダで初版。

3,036 部、これが世界に広まる第一歩でした。

英訳版(1952 年)以降、世界 70 か国以上で翻訳、累計3,500 万部以上販売。

オットーは生涯をアンネの遺志を世界に届けることに捧げました。


静かな余韻

「I still believe, in spite of everything, that people are really good at heart.」

(それでも私は、人は本当は心の底では善良だと信じている)

これは 1944 年 7 月 15 日、アンネが日記に書いた一文。

逮捕されるわずか 3 週間前でした。

ナチス支配下の隠れ家で、密告の恐怖と空腹と思春期の葛藤を抱えながら、それでも 「人間の善性」を信じていた 15 歳の少女。

ベルゲン・ベルゼンの泥のなかで、彼女が最後に思い浮かべたのは何だったか。

私たちには分かりません。

でも、3,500 万部の言葉が、80 年経った今も、世界中の中学生の必読書として読み継がれている。

それは、アンネの善性への信頼が、勝ったからなのかもしれません。


💬 本日のひとこと

> I still believe, in spite of everything, that people are really good at heart.

逮捕の 3 週間前に書かれた一文。

隠れ家で 2 年 1 か月、密告と空腹と恐怖のなかで、それでも 「人は善良だ」と信じ続けた 15 歳の言葉です。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

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