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野口英世 ─ 千円札の細菌学者51年
旧千円札の顔、野口英世。
1 歳 7 か月でいろりに左手を突っ込み、生涯ハンディキャップを抱えた少年が、世界の細菌学者になるまでの 51 年。
ガーナ・アクラの研究所で黄熱病に倒れたのは 51 歳。
母シカが日本から送り続けた手紙、そして帰らなかった息子。
その物語を、できるだけ静かにたどってみます。
1. 福島・猪苗代の貧しい家に(1876〜)
1876 年、福島県猪苗代湖のほとり、三ッ和村(現・猪苗代町)。
清作(後の英世)は、貧しい農家の長男として生まれました。
1 歳 7 か月のとき、母シカが田仕事に出ているあいだに、囲炉裏に左手を突っ込んでしまった。
指 5 本が癒着して、まったく使えない。
村の人からは「てんぼう(手なし)」とからかわれました。
家は貧しく、父は酒で家計を傾け、シカが内職で支える日々。
それでも清作は、母から「お前は人より頭で勝負しなさい」と言われ続け、本だけは読みました。
2. 小林栄先生と渡部鼎医師(1885〜1893)
清作 9 歳。
小学校で出会った 小林栄先生が、彼の人生を変えます。
「この子の頭は普通ではない」── 小林先生は村中から募金を集め、清作の左手の手術を実現させました。
執刀したのは会津若松の 渡部鼎(わたなべ・かなえ)医師。
左手は完全には治らなかったものの、親指と人差し指が分離し、ペンと箸は使えるように。
このとき、清作は強烈に思います。
「医者という仕事は、人の運命を変えられる」
15 歳で会津若松に出て、渡部医師の薬局で住み込み書生に。
ここで医学に魅入られ、上京を決意するのです。
3. 上京、北里研究所、米国渡航(1898〜1900)
19 歳で上京、医師免許試験に合格して 21 歳で医師に。
名前を 「英世」に改名したのもこの頃。坪内逍遙の小説に出てくる「医者なのに無能な英世」というキャラと同名で、それを反面教師にしたという逸話があります。
23 歳で 北里柴三郎の伝染病研究所に入所。
英語も独学で身につけ、 24 歳で米国・ペンシルベニア大学のサイモン・フレクスナー博士を訪ねて単身渡米します。
紹介状はあったものの、フレクスナーは清作のことをほとんど覚えていなかった。
それでも食らいつき、蛇毒の研究で論文を発表、若き研究者として頭角を現していきます。
4. ロックフェラー医学研究所での輝き(1904〜1918)
28 歳、ニューヨークの ロックフェラー医学研究所へ。
ここでの 14 年間が、彼の研究者としての黄金期でした。
梅毒スピロヘータの純粋培養(1911)に成功。
小児麻痺、狂犬病、黄熱病 ── あらゆる感染症の病原体を追い続けます。
ノーベル生理学・医学賞には 3 度ノミネート。
英語で「Hideyo Noguchi」の名は、欧米の医学界に轟きました。
日本では「世界の野口」と呼ばれ、新聞は連日彼の業績を報じる。
しかし本人は研究室にこもり、ひたすら顕微鏡を覗き続けました。
5. 黄熱病との闘い、そして殉職(1918〜1928)
51 歳。
最後のテーマは 黄熱病(イエローフィーバー)でした。
エクアドル、メキシコで研究を続けた後、アフリカ・ガーナのアクラへ。
当時、黄熱病はアフリカで猛威を振るい、ヨーロッパ人の植民地統治を阻む最大の壁。
ところが現地で、清作自身が黄熱病に感染。
1928 年 5 月 21 日、アクラで永眠。51 歳。
最期の言葉は「I don’t understand」── 自分の研究が何故失敗したのか分からない、という意味だったと伝わります。
その後の研究で、彼が確信していた「黄熱病は細菌」という仮説は誤りで、実際はウイルスだったことが判明します。
それでも、現地で命を懸けた事実は変わりません。
6. 51 年の生涯(〜1928)
清作の遺体はニューヨークに運ばれ、ウッドローン墓地に埋葬。
墓碑には「Through devotion to science he lived and died for humanity(科学への献身を通じて、彼は人類のために生き、人類のために死んだ)」と刻まれています。
母シカは、息子の死を聞いて泣き崩れました。
彼女が生前に送った手紙の中に、「ハヤク カエッテ コオ」(早く帰ってこい)の一行があります。
たどたどしいカタカナで、何度も何度も書き直された手紙でした。
静かな余韻
「忍耐は苦し、されどその実は甘し」
清作が母シカへの手紙に書いた言葉、そして座右の銘です。
1 歳 7 か月で左手を失い、村でからかわれ、貧困の中で本を読み、世界の細菌学者になり、最後はアフリカで命を落とした。
51 年の生涯のうち、苦しみは多かったかもしれません。
でも、その忍耐の実が「Hideyo Noguchi」という名前を世界医学史に残したのは、確かなことです。
そして、母シカ。
「ハヤク カエッテ コオ」と祈り続けた老母は、息子より長く生き、息子の墓を見ることなく永眠しました。
千円札の顔の裏に、福島の囲炉裏と、震える左手と、母の手紙がある。
そんなことを、今日は少しだけ思ってみてもいいのかもしれません。
💬 本日のひとこと
> 忍耐は苦し、されどその実は甘し
母シカへの手紙、そして本人の座右の銘として伝わる一文。
左手を失った 1 歳 7 か月から、ガーナで黄熱病に倒れた 51 歳まで ── そのすべてを 1 行で要約するなら、これしかありません。
もう少し深く知りたい人へ
- 渡辺淳一『遠き落日』(角川文庫) ── 直木賞候補にもなった伝記小説。野口英世の光と影を、徹底取材で描いた決定版
調べたら面白かったので、書いておきますね。




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