渋沢栄一 ─ 「論語と算盤」を本気で両立させた91年

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渋沢栄一 ─ 「論語と算盤」を本気で両立させた91年

2024年7月、新しい一万円札の肖像になった渋沢栄一。

半世紀ぶりの紙幣変更で、福澤諭吉と入れ替わった人物として、改めて名前を聞いた人も多いと思います。

教科書では「日本資本主義の父」とひとことで紹介されます。

ただ、彼の人生は経済人の枠をはるかに超えていました。

約 500 の会社の育成・設立に関わり、約 600 の社会公共事業や民間外交にも力を尽くした。

そんな男の、91年の物語をたどってみます。


1. 武蔵国の藍商人の家に生まれて(1840〜)

天保11年(1840年)、武蔵国血洗島(今の埼玉県深谷市)の豪農の家に、栄一は生まれました。

家業は藍葉と養蚕。栄一は商家の長男でした。

幼いころから父の商売を手伝い、藍葉の品質を見極める目を養います。

同時に、いとこの尾高惇忠から漢学を学び、論語に親しむ少年時代を過ごしました。

商人の現場で算盤を覚え、書斎で論語を読む。

のちに渋沢の名を象徴する 2 つの世界が、子どもの頃にすでに同居していたわけです。


2. 倒幕志士からの大転換(1863〜1867)

20代前半の渋沢は、実は倒幕志士(江戸幕府を倒そうとした活動家)でした。

高崎城を乗っ取って、横浜の外国人居留地を焼き討ちする。そんな計画にまで関わります(実行直前で断念)。

ところが文久3年(1863年)に京都へ出奔し、元治元年(1864年)には一橋慶喜(のちの将軍 徳川慶喜)に仕えることになります。

さらに慶応3年(1867年)、慶喜の弟・徳川昭武に随行してパリ万博使節団に参加。

ヨーロッパの銀行・株式会社・郵便制度を、1 年半かけて見て回ります。

倒幕の志士が、幕府の使節としてヨーロッパに行き、西洋の経済システムに衝撃を受けて帰ってくる。

人生は時に、本人の予想とは違う方向に動きます。


3. 大蔵官僚から民間へ(1869〜1873)

明治2年(1869年)、新政府に出仕した渋沢は、大蔵省で度量衡(長さ・重さの基準)の統一、郵便制度、国立銀行制度の設計に関わります。

明治5年には富岡製糸場(官営の生糸工場、現在は世界遺産)の設立にも関与。

近代日本の制度設計の現場に、初期から立ち会いました。

しかし明治6年(1873年)、財政方針の対立で33歳で大蔵省を辞任します。

そして同じ年、第一国立銀行(現みずほ銀行の源流)の総監役に就任。

官から民へ、政治から経済へ、舞台を切り替えます。

「民間の側から国を富ませるべきだ」。

官を辞めた背景には、そんな考えがありました。


4. 約500社の設立に関わる(1873〜)

第一国立銀行をスタートに、渋沢は次々と会社を作っていきます。

  • 王子製紙(1873年、抄紙会社として設立)
  • 大阪紡績(1882年)
  • 東京海上保険(1879年)
  • 東京瓦斯(1885年)
  • 帝国ホテル(1887年)
  • 東京証券取引所(1878年、東京株式取引所として)
  • 日本郵船、東洋紡、札幌麦酒会社、東京電灯会社…

リストはまだまだ続きます。

500 という数字は、明治日本の産業基盤の広さに、そのまま渋沢の名が重なっていることを意味します。

ただし、彼は自分の財閥を作りませんでした。

「個人の利益より社会の利益を先にする」という思想で、多くの会社を生んだのに、自分の支配下には置かなかった。

三井・三菱・住友のような財閥と渋沢の名前が同じ列で語られない理由は、ここにあります。


5. 600 の社会事業(1873〜)

経済だけではありません。渋沢は社会事業にも巨大な足跡を残しました。

  • 東京養育院(孤児や困窮者を保護する施設)の院長を 52 年間務める
  • 日本赤十字社の設立を支援
  • 一橋大学・早稲田大学・同志社・日本女子大学などへの支援
  • 聖路加国際病院の設立を支援
  • 関わった社会事業は 約 600 件 と言われます

「儲けたお金を社会に還元する」。

今でこそ自然に響く言葉ですが、明治・大正の時代に、本人の生涯をかけてここまでやり切った人は他に多くありません。


6. 91歳での死(1931)

昭和6年(1931年)11月11日、渋沢栄一は91歳で没します。

明治・大正・昭和の 3 つの時代を生き抜き、日本社会に 約 500 社・約 600 事業を残しました。

晩年も健康に恵まれ、最後まで講演や執筆を続けたと伝わります。

東京養育院との関わりは、亡くなる直前まで続きました。


静かな余韻

渋沢栄一は、お金を生む人であり、同時にお金を社会に流す人でもありました。

彼が残した「道徳と経済は両立する」というテーマは、150年経った今もまだ、完全には解かれていません。

新一万円札の中で、彼は静かに座っています。

私たちが日々使うお金の中に、こういう人がひとりいる。

その事実は、ちょっと考えさせられます。


💬 本日のひとこと

> 論語と算盤

大正5年(1916年)に出版された渋沢の著書のタイトル。

「道徳(論語)と経済(算盤)は両立すべきであり、両立できる」という渋沢の生涯のテーマを、たった一言で表しています。

本人の著書として実物が現存し、青空文庫等で今も読むことができます。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

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