マハトマ・ガンディー ─ 非暴力で帝国を倒した78年

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マハトマ・ガンディー ─ 非暴力で帝国を倒した78年

英語で Mahatma(偉大なる魂)。

弁護士から始まり、たった一人の非暴力で、当時世界最大の帝国だった大英帝国を、インドから撤退させた人。

塩を求めて 380 km 歩いた「塩の行進」、断食、糸車。

彼の闘いは、武器を一切持たなかった。

78 年の生涯を、できるだけ静かにたどります。


1. グジャラートの宰相の家に(1869〜)

1869 年 10 月 2 日、インド西部・ポルバンダル藩主国(現グジャラート州)。

父・カラムチャンドは藩主国の宰相を代々務めた家系。

母・プトリバイは厳格なヒンドゥー教徒で、断食を頻繁に行う敬虔な女性でした。

幼いモハンダース(後のマハトマ)は、13 歳で結婚。

これは当時のインドの慣習で、幼児婚でした。

妻・カストゥルバも 13 歳。少年と少女の結婚生活は、当然たやすくありません。

学校では平凡な少年。

「なまじ正直すぎて先生から不正を勧められたとき断った」と本人が自伝に書いています。

「正直さ」が、彼の人生の出発点でした。


2. ロンドン留学、南アフリカへ(1888〜1915)

19 歳、ロンドンに留学。

弁護士資格を取得して 21 歳でインドに戻ったが、法廷で口がきけないほどの人見知りで、弁護士業はほぼ失敗。

22 歳、転機がやってきます。

南アフリカのインド人商社から、契約の代理人として南アへ渡航の依頼。

1893 年、ガンディーは南アフリカへ向かいました。

ここで起きたのが有名な「列車事件」です。

1 等車の切符を持ったガンディーが、インド人だからという理由で、白人車掌にピーターマリッツバーグ駅で放り出された。

寒い冬の夜、駅のベンチで一晩中考えたガンディーは、人種差別と闘う決意を固めます。

南アで 21 年、「Satyagraha(サティヤーグラハ ─ 真理の保持)」という非暴力闘争の手法を確立。


3. インド帰国、独立運動の指導者に(1915〜)

1915 年、46 歳でインドに帰国。

当時のインドは大英帝国の植民地。

ガンディーはインド国民会議に加わり、Mahatma(偉大な魂)と呼ばれる存在になっていきます。

彼の闘いの方法は、3 つ。

1. 非暴力(Ahimsa)

2. 不服従(Civil Disobedience)

3. Swadeshi(自国製品を使う ─ 英国製の服を捨て、自分で糸を紡ぐ)

彼自身が糸車(チャルカ)で布を織り、自分の腰布だけを身に纏う。

「半裸の托鉢者」と英国メディアに揶揄されましたが、インド国民の心は完全に彼の側にありました。


4. 「塩の行進」(1930)

1930 年 3 月 12 日。

ガンディーは弟子 78 人を率いて、アーメダバードのアシュラム(修行道場)から海岸ダンディーへ、380 km の徒歩行進を始めました。

目的は、英国が課した塩税への抗議。

インド人は海岸の塩すら自由に作れず、英国から塩を買わされていたのです。

24 日後、4 月 6 日にダンディー海岸到着。

ガンディーは海水を一握り、自分で塩を作りました。

この瞬間に、世界中の新聞が大見出しを打ちます。

「ガンディー、塩を作る」

英国はガンディーら 6 万人以上を逮捕、しかし暴動も発砲もない。

非暴力が、世界中の世論を動かした瞬間でした。


5. インド独立(1947)

第二次大戦後、英国は疲弊し、植民地統治を放棄。

1947 年 8 月 15 日、インド独立。

しかし喜びと裏腹に、ヒンドゥーとイスラムの宗教対立が深刻化。

パキスタン分離独立が決まり、約 1,500 万人が移住、約 100 万人が暴動で死亡。

ガンディーが最も恐れたインドとパキスタンの分裂が、現実になってしまったのです。

ガンディーは断食を繰り返し、両宗教の和解に身を捧げます。

カルカッタでの「絶食 21 日」が暴動を鎮めた、と伝わります。


6. 78 年の生涯(〜1948)

1948 年 1 月 30 日、デリー。

夕方の祈祷会の場で、ヒンドゥー過激派の青年・ナトラム・ゴドセの凶弾に倒れる。

最期の言葉は「ヘー・ラーム(おお、神よ)」。

国民の圧倒的多数が泣きました。

ネルー首相は「我々の太陽が落ちた」とラジオで語ったといいます。


静かな余韻

「There is no path to peace; peace is the path」

平和への道はない、平和こそ道である。

ガンディーの闘いの 30 年は、「目的のために手段を選ぶ」のではなく、「手段そのものが目的」だった。

非暴力は、独立を勝ち取るための戦略ではなく、それ自体が彼の生き方だった。

その後、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、アウンサンスーチーらが、彼の非暴力を継承します。

21 世紀の今も、ガンディーの糸車は、武器を持たない闘いの象徴として、世界中で回り続けているのです。


💬 本日のひとこと

> There is no path to peace; peace is the path.

「平和」は手段ではなく、それ自体が生きる道。

ガンディーがインド独立後の宗教対立で身を捧げて示したように、平和は毎日選び続ける選択なのかもしれません。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

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