ベンジャミン・フランクリン ─ 100 ドル札の建国の父84年

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ベンジャミン・フランクリン ─ 100 ドル札の建国の父84年

米国 100 ドル札の顔。

アメリカ独立宣言の起草に関わり、避雷針を発明し、新聞編集者・外交官・郵政長官を務めた建国の父。

10 歳で学校をやめ、印刷工の徒弟から始めた男が、ハーバード・イェールから名誉博士号を授与されるまでに登り詰めた、84 年の生涯を静かにたどります。


1. ボストンの蝋燭職人の家に(1706〜)

1706 年 1 月 17 日、英領北米植民地・ボストン。

父・ジョサイア・フランクリンは英国移民の蝋燭・石鹸職人、母・アビア・フォルジャー。

ベンジャミンは 17 人きょうだいの 15 番目(息子としては末から 2 番目)。

子だくさんで貧しい家。

ベンジャミンはわずか 8 歳から 10 歳までの 2 年間しか正規の学校に通えませんでした。

それでも本好きで、家にある聖書・歴史書・哲学書を片っ端から読破。

12 歳で兄ジェームズの印刷所に徒弟として入る。

ここで印刷・編集・記事執筆の技術を身につけます。


2. フィラデルフィアへ家出(1723)

兄ジェームズは厳しい雇用主で、ベンジャミンとの関係は悪化。

17 歳のとき、契約期間が終わる前に家出してニューヨーク、続いてフィラデルフィアへ。

到着したフィラデルフィアでは、たった1 ドル分の銅貨しか持っていなかった、と本人は自伝に書いています。

パン屋で3 つのパンを買い、両脇に抱えて川沿いを歩く姿を、後の妻デボラ・リードが窓から見て「みすぼらしい若者」と笑った、という運命の出会いも。

印刷所で働きながら、徐々に独立。

1729 年、23 歳で『Pennsylvania Gazette』(ペンシルベニア・ガゼット紙)の発行人に。

これが米国植民地で最も成功した新聞の一つになります。


3. ペンシルバニア協会、自伝(1727〜1737)

20 代後半から、フランクリンは社会改革家としての一面を発揮します。

  • 1727 年: ジャント協会(Junto)── 12 人の知識人による相互改善クラブ
  • 1731 年: フィラデルフィア図書館(北米初期の会員制貸出図書館)
  • 1736 年: 消防隊(米国初の組織化された消防隊)
  • 1751 年: ペンシルベニア大学前身校
  • 1751 年: ペンシルベニア病院(米国初の総合病院)
  • 1737 年: フィラデルフィア郵便局長(後に植民地全体の郵政長官に)

「13 の徳目」── 節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲。

週ごとに 1 つを集中して鍛える自己改善法を 282 年前に確立しました。

現代の自己啓発書の祖と呼べる存在です。


4. 雷の実験、避雷針(1752)

1752 年 6 月、フィラデルフィア。

46 歳のフランクリンは、雷雨のなか息子と一緒に凧揚げを実行します。

凧の糸の先には金属鍵を結び、雷雲の電荷が伝わるか実験。

結果、鍵から電気火花が飛び、フランクリンは雷が電気であることを実証。

(実際には命の危険な実験で、フランクリン自身は「絶縁体(絹のリボン)で身を守った」と注意していますが、模倣して死亡した実験者もいました)

この発見から発明したのが 「避雷針」。

高い建物に金属棒を立て、雷を地面に逃がす装置。

これにより、欧米の建築が雷火災から守られるようになります。

英国王立協会からコプリ・メダル(科学最高賞)を受賞、ハーバード・イェール・オックスフォードから名誉博士号。

学校 2 年で出発した男が、世界の科学者になったのです。


5. 米国独立、フランス大使(1776〜1785)

1775 年、米国独立戦争勃発。69 歳のフランクリンは、若いジョージ・ワシントン、トマス・ジェファーソンらと並ぶ独立指導者の一人になります。

1776 年、独立宣言起草の 5 人委員会メンバー(ジェファーソンが筆頭、フランクリンは推敲役)。

「我らはこれらの真理を自明のものと認める」── 有名な前文の言い回しは、ジェファーソンの草稿にフランクリンが手を入れたとされます。

1776 年、フランス大使として渡仏。

8 年間パリで外交活動を行い、フランスを米国側に引き込んで米仏同盟を締結。

これが英国を屈服させる決定打となりました。

パリの社交界では「素朴なアメリカ人哲学者」として大人気。

フランス人女性たちにモテた逸話、ヴォルテールとの出会い、モーツァルトと同時代を生きた可能性 ── 70 代の老人とは思えない活躍ぶり。


6. 84 年の生涯(〜1790)

1785 年帰国、79 歳。

ペンシルベニア州知事を 3 期務めた後、1787 年の憲法制定会議にも参加。81 歳。

病身を押して、米国憲法の起草・批准に尽力しました。

1790 年 4 月 17 日、フィラデルフィアで永眠。84 歳。

米国全土が哀悼し、葬儀には 2 万人が参列。

墓碑には自分で書いた銘文 ──

「古い本のように、ここに横たわる」

「文章は破れ、文字は色あせ、製本は剥がれた」

「しかし作品そのものは失われない」

「いずれ新しい、より美しい版で蘇るからだ」

「著者によって、改訂され、訂正されて」

印刷工出身らしい、最後まで本に喩えた人生観でした。


静かな余韻

「Time is money.」(時は金なり)

これはフランクリンが『若い商人への忠言』(1748)で書いた一文。

84 年の生涯で、彼は印刷工・編集者・科学者・発明家・外交官・政治家・著述家として 7 つ以上のキャリアを並走しました。

8 歳で学校を 1 年やめた少年が、100 ドル札の顔になり、ハーバードから名誉博士号を受けるまで。

その秘訣は、たぶん「13 の徳目」を毎日地道に磨き続けたこと。

そして晩年の墓碑で、自分の人生を 「古い本」に喩えたユーモア。

「いずれ新しい、より美しい版で蘇る」── これは死を恐れず、しかし軽くもしない、84 年生きた人の達観です。

100 ドル札を見るたびに、「Time is money」とともに、もうひとつフランクリンの言葉を思い出してください ── 「Lost time is never found again.」(失われた時は二度と戻らない)。


💬 本日のひとこと

「Time is money.」

近代資本主義精神の象徴とされる一文。

ただし本人は「だから稼げ」ではなく、「だから無駄にするな」というニュアンスで使いました。

時間を尊敬することが、結果として豊かさにつながる ── 282 年前の知恵は、今も色あせていません。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

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