黒澤明 ─ 「七人の侍」を撮った巨匠88年

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黒澤明 ─ 「七人の侍」を撮った巨匠88年

『七人の侍』『羅生門』『生きる』『用心棒』 ──

スピルバーグ、ルーカス、コッポラ、スコセッシ、タランティーノ ── ハリウッドの巨匠たちが「師匠」と呼ぶ、日本人映画監督。

最初に世界の映画祭で日本を有名にした男、世界のクロサワ。

88 年の生涯を、できるだけ静かにたどります。


1. 大正の東京、軍人の家に(1910〜)

1910 年 3 月 23 日、東京・品川に生まれた黒澤明は、8 人きょうだいの末っ子でした。

父勇は、陸軍系の体育学校で教える厳格な人。

けれど映画や西洋文化に理解があり、幼い明を映画館へ連れていったとも言われます。

1923 年、関東大震災。

13 歳の明は兄丙午に連れられ、焼け跡や遺体の広がる東京を見て回りました。

「目をそらすな」と兄に言われた経験を、のちに本人は大きな原点として書いています。

人間の醜さも正面から撮る黒澤映画の視線は、このとき鍛えられたのかもしれません。


2. 画家を夢見て、PCL 撮影所へ(1928〜1936)

若い黒澤はまず画家を目指しました。

前衛的な絵も描きましたが、生活は苦しく、職業としては行き詰まります。

1936 年、PCL 映画製作所の助監督募集に応募。

これがのちの東宝です。

26 歳で合格すると、現場で徹底的に鍛えられました。

特に師となったのが監督山本嘉次郎。

脚本、編集、演出、現場整理まで全部やらせる人で、黒澤はここで映画づくりを体に入れていきます。


3. 監督デビュー、戦時下の作品(1943〜1945)

1943 年、『姿三四郎』で監督デビュー。

柔道を題材にした娯楽作ですが、風、泥、水といった自然の力を感情に重ねる演出は、すでに黒澤らしいものでした。

ただし時代は戦時下です。

検閲でカットされた場面も多く、自由に撮れたわけではありません。

それでも『一番美しく』『虎の尾を踏む男達』などで、体制の中にいながら映画としての強度を保とうとしていました。

若いころから、相当しぶとい監督だったんですね。


4. 羅生門、ヴェネツィア国際映画祭グランプリ(1950〜1951)

1950 年の『羅生門』が、黒澤の名前を世界へ押し出します。

同じ出来事を複数の証言で語る構成は当時かなり新しく、しかも映像が圧倒的でした。

翌 1951 年、この作品はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞します。

欧米が本格的に日本映画へ目を向けた最初の大事件の一つでした。

日本国内では「なぜこれが海外で」と驚きもあったそうですが、外から見れば確かに衝撃だったんだと思います。


5. 七人の侍、用心棒、世界のクロサワ(1954〜)

1954 年の『七人の侍』で、黒澤は完全に巨匠になります。

農民と浪人、雨の合戦、群像劇。上映時間 3 時間超でも、人を引っぱり続ける。

この映画は後にハリウッドで『荒野の七人』へ翻案されました。

さらに『用心棒』は『荒野の用心棒』へ、『隠し砦の三悪人』は『スター・ウォーズ』へ影響を与えたと言われます。

日本の時代劇が、世界の映画の文法になってしまったわけです。

1980 年の『影武者』ではカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。

一度評価が揺らいだ後でも、世界はやはり黒澤を放っておきませんでした。


6. 88 年の生涯(〜1998)

順風満帆に見えますが、晩年には大きな苦境もありました。

資金難や企画中止が重なり、1971 年には自殺未遂を起こします。

そこから再起のきっかけになったのが、ソ連で撮った『デルス・ウザーラ』でした。

この作品で 1975 年、アカデミー外国語映画賞を受けます。

さらに 1990 年には米アカデミー名誉賞。

スピルバーグやルーカスたちが支えたこともよく知られています。

1998 年 9 月 6 日、東京で永眠。88 歳でした。

最後まで、世界の映画人たちにとって「先生」であり続けた人です。


静かな余韻

黒澤映画は、派手なチャンバラや大雨の合戦で語られがちです。

でも芯にあるのは、いつも人間はどう生きるかという問いです。

『生きる』の市役所職員も、『七人の侍』の浪人たちも、結局は限られた時間の中で何を残すかを問われています。

完璧主義で怒りっぽく、でも作品には人間への執着がある。

晩年の黒澤は、少しずつ自分の映画の登場人物に似ていったのかもしれません。


💬 本日のひとこと

> 創るとは、自分のすべてを賭けて、何かを生み出すことだ

黒澤は映画を、器用な職業ではなく命を削る仕事として見ていました。

脚本も、演出も、編集も、妥協しない。

52 本ではなく 30 本の長編でも、一本一本の密度が異様に高いのはそのせいでしょうね。

この言葉は少し大きいですが、黒澤が言うと事実として聞こえます。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

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