エイブラハム・リンカーン ─ 奴隷を解放した56年

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エイブラハム・リンカーン ─ 奴隷を解放した56年

ケンタッキーの丸太小屋で生まれた農夫の息子。

学校教育1 年未満、独学で弁護士になり、52 歳で第 16 代米国大統領に。

南北戦争を勝ち抜き、奴隷解放宣言を発し、合衆国を分裂から救った男。

そして暗殺された、56 年の生涯を静かにたどります。


1. ケンタッキーの丸太小屋に(1809〜)

1809 年 2 月 12 日、米ケンタッキー州ホッジェンビル近郊の小さな丸太小屋。

父・トーマスは文字も読めない大工兼農夫、母・ナンシーは読書好きで信仰深い女性でした。

家は何度も引っ越し、9 歳のときに母が牛乳病(毒草を食べた牛のミルクが原因)で急逝。

継母サラが来てくれて、彼女が幼いリンカーンに「本を読みなさい」と励ましました。

学校に通えたのは生涯で1 年にも満たない。

それでも『聖書』『シェイクスピア』『イソップ寓話』を、ろうそくの灯りで読みふけったといいます。

長身で痩せ型、レスリングが強く、力仕事と読書を行き来する少年時代でした。


2. 独学で弁護士、政界へ(1834〜)

22 歳でイリノイ州ニューセイラムへ移住。

雑貨店、郵便局、測量、レスリング ── 何でも屋として働きながら、独学で弁護士試験に合格します。

1837 年、スプリングフィールドで弁護士事務所を開設。

1834 年、25 歳でイリノイ州議会議員に当選。

やがて連邦下院議員も務め、奴隷制の拡大に反対する共和党の立場を鮮明にしていきます。

1858 年、上院選挙でスティーヴン・A・ダグラスとの「リンカーン・ダグラス論争」。

全 7 回の公開討論は、奴隷制をめぐる米国の世論を二分する出来事となりました。

このとき選挙は負けましたが、彼の名は全米で知られる存在になります。


3. 第 16 代大統領就任(1861)

1860 年 11 月、共和党から大統領選に出馬し勝利。

51 歳での当選でした。

しかし就任前に、サウスカロライナを皮切りに南部 7 州が連邦離脱を宣言。

1861 年 4 月 12 日、サムター要塞への砲撃で南北戦争が始まります。

リンカーンは合衆国を割らせないことを最優先に据えました。

「家が二つに分かれては立ち行かぬ」── 1858 年の演説で語った言葉が、現実になったのです。

戦況は最初、北軍に厳しいものでした。

将軍は次々と更迭され、首都ワシントンの危機すらありました。


4. 奴隷解放宣言、ゲティスバーグ演説(1862〜1863)

1862 年 9 月、北軍がアンティータムの戦いで南軍をかろうじて押し戻すと、リンカーンは奴隷解放予備宣言を発布。

1863 年 1 月 1 日、正式な奴隷解放宣言が発効しました。

南部諸州の奴隷を法的に自由とする宣言。

これは戦争の意味を「合衆国の維持」から「自由のための戦い」へ変える転換点でした。

英国・フランスの参戦阻止という外交的効果も大きかったといいます。

そして 1863 年 7 月、ゲティスバーグの戦いで北軍勝利。

11 月 19 日、戦死者を悼む式典で、リンカーンはわずか 272 語の演説を行います。

> 人民の人民による人民のための政治を、地上から消し去ってはならない

ここで終わる、たった 2 分の演説。

しかしこれが、米国民主主義の信条として 21 世紀まで生き続けます。


5. 南北戦争終結、再選(1864〜1865)

1864 年、激戦のさなかリンカーンは大統領選で再選。

「ストリームの真ん中で馬を乗り換えない」というキャッチコピーが使われました。

ユリシーズ・S・グラントを北軍総司令官に据えてから戦況が好転。

1865 年 4 月 9 日、ロバート・E・リー南軍司令官がアポマトックスで降伏。

4 年に及ぶ南北戦争が終結しました。

戦後の和解を急いだリンカーンは、南部に厳しい復讐を望まない演説をいくつか行います。

「悪意なく、慈愛をもって」── 第 2 期就任演説の有名な一節。

しかしこれを「南部に甘い」と憎む過激派もいました。


6. 56 年の生涯(〜1865)

1865 年 4 月 14 日、ワシントンのフォード劇場。

妻メアリーと観劇中、俳優ジョン・ウィルクス・ブースが背後から至近距離で発砲。

弾は後頭部に命中。

意識を取り戻すことなく、翌4 月 15 日午前 7 時 22 分、向かいの下宿で永眠。

56 歳。

南北戦争終結のわずか 5 日後でした。

陸軍長官スタントンが言ったとされる言葉は 「Now he belongs to the ages(彼は今、永遠のものとなった)」。

副大統領アンドリュー・ジョンソンが大統領に昇格。

リンカーンは大統領として暗殺された初の米大統領となりました。


静かな余韻

リンカーンは生涯うつに苦しんだ人としても知られます。

若いころから「自分はあまりにも憂鬱だ、自殺するかもしれない」と書いた手紙が残っているほど。

そんな男が、米国史上最も困難な 4 年を耐え抜きました。

学校教育 1 年未満、丸太小屋生まれ、母を 9 歳で失い、息子を 3 人埋葬し、戦争で 60 万人以上の死者を見送り ── そのすべてを背負って、合衆国を割らせなかった。

そして自分が解放した黒人の子孫から、150 年後にバラク・オバマが大統領になります。

彼の悲願は、ゆっくりと、しかし確実に届いていったのです。


💬 本日のひとこと

> Government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

ゲティスバーグ演説の最後の一文。

272 語、2 分の短い演説でしたが、米国民主主義の信条として刻まれました。

本人の手稿が現存する、間違いなく彼の言葉です。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

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