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ジャンヌ・ダルク ─ 「神の声」を聞いた19歳の少女
15 世紀フランス、百年戦争末期。
イングランド軍に追い詰められたフランスを、わずか 17 歳の農家の娘が救った、と伝わります。
19 歳で火刑、25 年後に冤罪が認められ、500 年後に列聖された少女の生涯を、できるだけ静かにたどります。
1. ロレーヌ地方の小さな村に(1412〜)
1412 年 1 月 6 日(推定)、フランス東部ドンレミ村(現在のドンレミ=ラ=ピュセル)。
父・ジャック・ダルクは中流の農夫、母・イザベル・ロメ。
5 人きょうだいの末娘でした。
少女時代のジャンヌは、敬虔なカトリックで、針仕事と羊飼いの手伝いを得意としていたといいます。
13 歳のとき、父の畑で初めて「声」を聞いたと本人は裁判で証言しました。
大天使ミカエル、聖カタリナ、聖マルガリタの声。
「フランスを救い、シャルル王太子をランスで戴冠させよ」
最初は信じきれず、3 年間村で過ごしながら声と対話を続けます。
そして 1429 年、ついに行動を決意。
2. シャルル王太子のもとへ(1429)
17 歳ごろ、ジャンヌは父に内緒で隣町ヴォクルールへ。
領主ロベール・ド・ボードリクールに「シャルル王太子のもとへ連れて行ってほしい」と懇願します。
最初は鼻で笑われましたが、ジャンヌの確信は揺るがず、ついに領主が動いた。
男装し、髪を短く切り、6 人の護衛と共に500 km 以上を 11 日間で駆け抜け、シノン城へ。
そこで王太子シャルルに謁見。
シャルルは、家臣の中に身を隠して別人を玉座に座らせる試験をしますが、ジャンヌは群衆の中から本物のシャルルを言い当てたと伝わります。
信任を得たジャンヌは、白い甲冑、白い旗、白い馬で武装し、オルレアン解放軍の指揮を任されました。
3. オルレアン解放(1429年5月)
当時、フランスの要衝オルレアンはイングランド軍に半年以上包囲されていました。
落城寸前、フランス軍の士気は最低。
ジャンヌが到着したのは 1429 年 4 月 29 日。
彼女は街に物資を運び込み、市民・兵士に「神は我らと共にある」と説きました。
5 月 4 日から本格的な反撃。
ジャンヌ自身も胸を矢で射抜かれながら戦闘を続けます。
5 月 8 日、わずか 9 日でオルレアン解放。
当時の戦争では考えられないスピードで、ヨーロッパ中が「処女ジャンヌ(La Pucelle)」の名を聞き始めます。
4. ランス大聖堂、シャルル7世戴冠(1429年7月)
オルレアン解放後、ジャンヌはシャルルにランス大聖堂での戴冠式を強く要請します。
歴代フランス王はランスで戴冠することが伝統でしたが、当時ランスはイングランド寄りブルゴーニュ派の支配下。
ジャンヌの軍は北上し、わずか 2 か月で戴冠ルートを切り開きます。
1429 年 7 月 17 日、ランス大聖堂でシャルル 7 世の戴冠式。
ジャンヌは王の傍らで白旗を掲げて立ち会いました。
これによりシャルルは「正統なフランス王」として国際的承認を得ます。
ジャンヌの最大の功績でした。
5. 捕縛、裁判、火刑(1430〜1431)
ところが王の戴冠後、ジャンヌの政治的役割は急速に縮小します。
シャルル 7 世は、もはやジャンヌを邪魔な存在と見始めていた、ともいわれます。
1430 年 5 月 23 日、コンピエーニュでブルゴーニュ派に捕縛。
身代金交渉でシャルル王はジャンヌを救おうとせず、彼女はイングランド側に売られます。
1431 年 1 月から 5 月、ルーアンで宗教裁判。
70 以上の罪状(魔女、異端、男装、男性聖職者を呼ばないこと等)。
判事の中心はピエール・コーション司教、イングランドに買収されていたとされます。
ジャンヌは尋問で機転と信念を示しましたが、最終的に異端認定。
1431 年 5 月 30 日午前 9 時、ルーアンの広場で火刑。
19 歳。
最期に「イエス」と叫び、灰になりました。
イングランド兵の隊長は「我々は聖なる者を焼いてしまった」と泣いたと伝わります。
6. 19 年の生涯(〜1431)
火刑から 25 年後の 1456 年、復権裁判でジャンヌの冤罪が確定。
すべての罪状が無効とされました。
そして約 500 年後の 1920 年、ローマ教皇ベネディクト 15 世により聖人列聖。
「聖ジャンヌ・ダルク」として、カトリック教会の正式な聖人になり、フランスの守護聖人とされました。
ルーアンの火刑場跡には今も記念教会が建ち、毎年 5 月 30 日に追悼ミサが行われます。
静かな余韻
「I am not afraid; I was born to do this.」
(私は恐れない。私はこれをするために生まれた)
19 年の生涯のうち、戦士だった期間はわずか 2 年。
しかしその 2 年で、フランスの歴史は塗り替えられました。
15 世紀の世界で、17 歳の農家の娘がこれをやった、という事実は、いまだに人を黙らせます。
彼女が殺された後、シャルル 7 世はゆっくりとフランスを取り戻し、最終的に百年戦争に勝ちます。
ジャンヌの仕事は、結果としてフランスという国を救ったのです。
そして 500 年後の聖人列聖は、遅すぎた贖罪でもありました。
歴史の判定が一度死んだ人を蘇らせる、その途方もない時間。
今もフランス各地の広場には、白い甲冑のジャンヌ像が立っています。
💬 本日のひとこと
「I am not afraid; I was born to do this.」
後世に広く伝わる、19 歳の少女の言葉。
裁判での強い受け答えを象徴する言葉として、後世に伝わります。
「これをするために生まれた」── そう言い切れる人生は、たとえ 19 年でも長いのかもしれません。
もう少し深く知りたい人へ
- レジーヌ・ペルヌー『ジャンヌ・ダルク』(白水社文庫クセジュ) ── フランスのジャンヌ研究の第一人者による定番。裁判記録の引用が豊富
調べたら面白かったので、書いておきますね。



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