アイザック・ニュートン ─ リンゴと万有引力84年

ページコンテンツ

アイザック・ニュートン ─ リンゴと万有引力84年

リンゴが落ちるのを見て、万有引力を発見したと伝わる男。

微積分を独自に発明し、運動の三法則を定式化し、プリンキピアで近代科学の土台を作った 17 世紀の英国人。

ペスト流行で大学閉鎖中、故郷の母の屋敷で過ごした 1665-1666 年の 18 か月を、ニュートン自身が「私の創造の最も豊かな時期」と回顧しています。

84 年の生涯を、できるだけ静かにたどります。


1. リンカンシャーの自作農の家に(1642〜)

ニュートンは 1642 年 12 月 25 日、イングランドのウールスソープで生まれました。

ただし当時の英国は旧暦なので、新暦では 1643 年 1 月 4 日にあたります。ここは少しややこしいところです。

父は彼の誕生 3 か月前に死去。

しかもニュートンは未熟児で、母は「小さなマグカップに入るほどだった」と後に語っています。

3 歳のとき母が再婚すると、彼は祖母に預けられ、かなり孤独な少年時代を送ります。

その反動なのか、機械いじりや工作には異様に熱中しました。

風車の模型、水時計、凧。世界を動かす仕組みを、自分の手で確かめたかった人なんでしょうね。


2. ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ(1661〜1665)

1661 年、トリニティ・カレッジに入学。

最初は裕福な学生の世話をして学費を補う、身分の低い立場でしたが、頭の切れ味はすぐ目立つようになります。

当時の大学教育はまだアリストテレス中心でした。

ところがニュートンは、それだけでは満足せず、デカルト、ケプラー、ガリレオ、ウォリスといった新しい学問を一人で読み進めます。

誰かに教わるというより、勝手に最前線へ入っていくタイプです。

1665 年、学士号取得。

その直後、ロンドンを中心に大ペストが広がり、大学は閉鎖されます。


3. ペスト流行、Annus Mirabilis(1665〜1666)

大学が閉まったため、22 歳のニュートンは故郷へ戻ります。

この 1665 年から 1666 年の 18 か月が、科学史で有名なAnnus Mirabilis、奇跡の時期です。

ここで彼は、のちの微積分につながる数学、万有引力の着想、そしてプリズムで白色光を分ける光学の研究を一気に進めました。

有名なリンゴの話も、このころの回想として伝わります。

落ちるリンゴと月の運動は、同じ力で説明できるのではないか。そう考えたわけです。

22 歳から 23 歳で、後世の教科書を何冊も先取りしてしまった。

少し現実味がないですが、記録を見るかぎり本当にそうなんですよね。


4. プリンキピア出版(1687)

ニュートンは発見をすぐ公表する人ではありませんでした。

慎重というより、論争嫌いで、書いたものをしまい込む癖がありました。

転機を作ったのは、天文学者エドモンド・ハレーです。

惑星運動の計算について相談を受けたニュートンは、すでに答えを持っていた。

驚いたハレーに励まされ、執筆を始めたのが『自然哲学の数学的諸原理』、通称プリンキピアです。

1687 年刊行。

ここで運動の三法則と万有引力の法則が、数学の言葉で統一的に示されました。

近代科学の出発点と言われるのは大げさではなく、空の星から地上の落下まで、同じルールで語れるようになったからです。


5. 造幣局長官、王立協会会長(1696〜)

1696 年、ニュートンはロンドンの王立造幣局へ移ります。

学者が造幣局、と聞くと少し不思議ですが、ここで彼は驚くほど有能でした。

通貨改鋳の実務を仕切り、贋金づくりを執拗に追い、犯人の証言を自分で集めて法廷に立たせています。

1703 年には王立協会会長に就任。

1705 年にはアン女王からナイト爵を授けられ、Sir Isaac Newtonになります。

机上の理論家というより、国家機関を回す行政官としても強かったわけです。


6. 84 年の生涯(〜1727)

晩年のニュートンは、英国を代表する知識人として扱われました。

一方で、病気も増え、論争相手との確執も残ります。特にライプニッツとの微積分優先権争いは有名です。

1727 年 3 月 20 日、ケンジントンで永眠。旧暦表記なので、新暦では 3 月 31 日です。

84 歳。

遺体はウェストミンスター寺院に埋葬されました。王侯貴族ではない自然哲学者が、英国の英雄としてそこに眠る。時代が彼をどう見ていたかがよく分かります。


静かな余韻

ニュートンというと、合理性のかたまりみたいな印象があります。

でも実際には、彼は大量の時間を錬金術や聖書解釈にも注いでいました。

科学と神秘がまだきれいに分かれていない時代だった、と言えばそれまでです。

ただ、世界の法則を知りたいという欲望が、数学にも宗教にも向いていたと考えると、むしろ一貫しているのかもしれません。

近代科学の父は、思っているよりずっと人間くさい人でした。


💬 本日のひとこと

> If I have seen further, it is by standing on the shoulders of giants.

この一文は 1675 年、ロバート・フック宛ての書簡に残ります。

謙遜として読まれることが多いですが、フックとの関係はかなり緊張していたので、少し皮肉が混じるという解釈もあります。

それでも、科学が積み上げの営みだという意味では、本当に強い言葉です。

ニュートンほどの天才でも、前の時代の「巨人」の上に立っていたんですね。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました