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アレクサンダー大王 ─ 32年で大帝国を築いた王
紀元前 4 世紀、ギリシャ北方の小国マケドニアの王子。
アリストテレスを家庭教師に持ち、20 歳で王位、32 歳でギリシャからインドまでを統一しました。
たった12 年の遠征で、当時知られていた世界の大半を支配下に。
そして 32 歳で謎の高熱で死亡。
できるだけ静かに、その生涯をたどります。
1. マケドニアの王子として(紀元前356〜)
紀元前 356 年 7 月 20 日、マケドニア王国の首都ペラ。
父・フィリッポス 2 世はマケドニア王、母・オリュンピアスは隣国エペイロスの王女。
幼少期から異常な活発さで、12 歳のとき 「ブケファロス」という暴れ馬を、誰も乗りこなせなかったところを自分の影を怖がっているだけだと見抜き、太陽に背を向けて乗りこなしたと伝わります。
父フィリッポスは涙して 「息子よ、お前にはマケドニアは小さすぎる」と語ったとも。
13 歳から 16 歳まで、家庭教師はアリストテレス。
当時のギリシャ最大の哲学者から、哲学・倫理・政治・自然科学・医学・詩を学びました。
特にホメロスの『イリアス』を生涯の愛読書とし、遠征中も枕の下に置いていたといいます。
2. 父の暗殺、20 歳で即位(紀元前336)
紀元前 336 年、父フィリッポス 2 世が結婚式の最中に暗殺される。
20 歳のアレクサンダーがマケドニア王に即位。
最初の 2 年は反乱鎮圧。
ギリシャ諸都市は「フィリッポスは死んだ、若造に何ができる」とばかりに反旗を翻しましたが、アレクサンダーはテーバイを徹底的に破壊して見せしめにしました。
これでギリシャ世界は震え上がり、彼をヘラス連盟の盟主として認めます。
3. ペルシア遠征(紀元前334〜)
紀元前 334 年、22 歳のアレクサンダーはペルシア帝国遠征を開始。
父の遺志でもありました。
主要な戦い ──
- グラニコス河の戦い(紀元前 334)── ペルシア西方軍を撃破
- イッソスの戦い(紀元前 333)── ペルシア大王ダレイオス 3 世に勝利、王の家族を捕虜に
- テュロス攻囲戦(紀元前 332)── 7 か月の海上要塞攻略
- エジプト征服(紀元前 332-331)── ファラオとして迎えられ、アレクサンドリアを建設
- ガウガメラの戦い(紀元前 331)── 25,000 人で 100,000 人のペルシア軍を撃破
ガウガメラ後、ペルシア帝国は事実上崩壊。
ダレイオス 3 世は配下に裏切られて殺され、アレクサンダーはアジアの王となりました。
4. インド遠征、ヒダスペス川の戦い(紀元前326)
ペルシアの首都ペルセポリスを制圧後、アレクサンダーはさらに東へ。
中央アジア(現アフガニスタン)を制圧し、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドへ。
紀元前 326 年、ヒダスペス川(現パンジャブ州ジェルム川)でインド王ポロスと決戦。
ポロス軍は戦象 200 頭を擁する強敵でしたが、アレクサンダーは渡河作戦で勝利。
敗れたポロスを「王にふさわしい態度で扱われたい」という言葉に感動して、敗将のまま地方支配者に再任したという逸話があります。
しかし、8 年の遠征に疲れ果てた兵士たちは、ヒュファシス川(現ベアス川)で「もう故郷に帰りたい」と泣いて訴えた。
アレクサンダーは折れて、進軍を中止します。
5. バビロンへの帰還、突然の死(紀元前323)
帰路はインダス川を下り、ペルシア湾へ抜ける過酷なルート。
ゲドロシア砂漠で多くの兵を失い、アレクサンダー自身も部下と苦楽を共にしました。
紀元前 323 年、バビロンに到着。
そこで次の遠征計画(アラビア半島?)を練りながら、突然の高熱に倒れる。
原因は諸説 ── マラリア、腸チフス、毒殺、深酒による合併症。
紀元前 323 年 6 月 10 日(推定)、バビロンの王宮で永眠。32 歳。
弟子たちが「帝国を誰に託す?」と問うと、瀕死の彼は「最も強い者へ」と答えたと伝わります。
6. 32 年の生涯(〜紀元前323)
死後、後継者を指名しなかったため、ディアドコイ戦争(後継者戦争)が勃発。
帝国は 3-4 つの王朝に分裂しました ──
- プトレマイオス朝(エジプト)── クレオパトラの祖先
- セレウコス朝(シリア・メソポタミア)
- アンティゴノス朝(マケドニア・ギリシャ)
しかし、アレクサンダーの遠征が残した文化的影響は計り知れません。
ギリシャ語・ギリシャ哲学・ギリシャ建築が、エジプトからインド北西部まで広がる 「ヘレニズム文明」の出発点。
ガンダーラ仏教美術にギリシャ彫刻の影響が見られるのも、彼の遠征の余波です。
静かな余韻
「There is nothing impossible to him who will try.」
(挑戦する者に不可能はない)
32 歳で世界を支配し、32 歳で死んだ男。
8 年で、ギリシャからインダス河岸まで約 25,000 km を踏破しました。
これは GoogleMap で計算しても地球半周以上。
それを古代の徒歩・馬・船で、しかも戦闘しながら。
人類史でこのスピードと規模で版図を広げた人物は、ほぼいません。
チンギス・ハンは 60 年かけました。ナポレオンは 20 年。アレクサンダーは 12 年。
しかし生まれた帝国は彼の死で消えた。
残ったのは、東西文化の融合という遺産だけ。
これは「武力で世界を統一しようとしても、長続きしない」という、人類への教訓でもあるのです。
💬 本日のひとこと
「There is nothing impossible to him who will try.」
プルタルコス『英雄伝』が伝えるアレクサンダーの精神。
12 歳で暴れ馬を見抜いた少年から、32 歳でインドに到達した王まで、彼の人生は「やってみる」だけで作られていました。
32 年は短かったですが、可能性は広がりました。
もう少し深く知りたい人へ
- 森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』(講談社学術文庫) ── 日本人古代史家による評伝。神話と史実を慎重に切り分けた、現代のスタンダード
調べたら面白かったので、書いておきますね。



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