フィンセント・ファン・ゴッホ ─ 生前1枚しか売れなかった画家37年

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フィンセント・ファン・ゴッホ ─ 生前1枚しか売れなかった画家37年

いま美術館で 1 枚 70 億円を超える「ひまわり」「星月夜」「自画像」。

描いた本人フィンセント・ファン・ゴッホは、生前にたった 1 枚しか絵を売れず、弟テオの仕送りで生きていました。

37 歳で自死。

もっと長生きしていれば、と誰もが思う、その生涯を静かにたどります。


1. オランダの牧師の家に(1853〜)

1853 年 3 月 30 日、オランダ南部ズンデルト。

ゴッホは牧師テオドルス・ファン・ゴッホと母アンナの長男として生まれました。

少し重い話ですが、彼が生まれるちょうど 1 年前、同じ名前を与えられるはずだった兄が死産で亡くなっています。

墓石には同じ「Vincent Willem van Gogh」の名。

ゴッホは毎年、自分の誕生日と同じ日付が刻まれたその墓を見ながら育ったとも言われます。

自然が好きで、本も好きでしたが、どこか孤独で、感情の揺れが大きい少年でもありました。

のちの激しい手紙を読むと、すでに子どものころから世界の受け取り方が強かったのかもしれません。


2. 画商、教師、伝道師、そして画家へ(1869〜1880)

16 歳で伯父の縁により、画商グーピル商会に勤めます。

ハーグ、ロンドン、パリと渡り歩き、美術品を売る側として絵の世界に入りました。

でも仕事は長続きしません。失恋も重なり、感情の起伏が大きくなり、会社も離れることになります。

その後は教師見習い、書店員、牧師を目指す神学の勉強などを転々。

最終的にはベルギーのボリナージュ炭鉱地帯で伝道師のような活動をしますが、貧しい人に自分の服まで与えてしまうほど極端で、教会組織からは不適格と見なされました。

27 歳ごろ、やっと「自分は画家になる」と決めます。

遠回りに見えますが、人の苦しさを真正面から見たこの時期が、のちの初期作品の暗さとやさしさにつながっていきます。


3. オランダ・パリ時代(1881〜1888)

本格的に絵を描き始めたゴッホを支えたのは、弟のテオでした。

画商だったテオは、仕送りを続け、兄の手紙相手でもあり、ほとんど唯一の理解者でもあります。

オランダ時代の代表作は 1885 年の『じゃがいもを食べる人々』。

暗い室内で、農民たちの骨ばった手がじゃがいもを分け合う絵です。きれいというより、土と生活の匂いがする作品でした。

1886 年、パリへ移ると景色が一変します。

印象派や新印象派、そして日本の浮世絵に出会い、色が一気に明るくなる。

線は強く、空は青く、黄色はまぶしくなる。私たちがよく知る「ゴッホらしさ」は、このパリで輪郭を得たんですね。


4. アルル、ゴーギャンとの破滅的同居(1888)

1888 年、南仏アルルへ。

強い日差しの下で、ゴッホの色彩はさらに激しくなります。

ここで描かれたのが有名な「ひまわり」連作や『アルルの寝室』です。

彼はここに「南のアトリエ」をつくる夢を抱き、画家ポール・ゴーギャンを招きます。

1888 年 10 月から始まった共同生活は、理想というより衝突の連続でした。

二人とも強烈な個性で、絵の考え方も違う。

そして 12 月 23 日の夜、激しい口論のあと、ゴッホは自分の左耳の一部を切り落としたとされています。

いわゆる「耳切り事件」です。

この出来事で彼の不安定さは決定的に知られるようになりますが、同時に作品の熱量は落ちませんでした。


5. サン=レミ療養院、星月夜(1889〜1890)

1889 年 5 月、ゴッホは自らサン=レミの療養院へ入ります。

発作や幻覚に苦しみながらも、描くことだけはやめませんでした。

この時期に生まれたのが『星月夜』、糸杉の連作、オリーブ畑、麦畑。

窓の外の景色が、渦を巻く夜空や燃えるような木に変わっていく。

現実をそのまま写すのではなく、見えたものに心の震えが重なっている感じです。

体調は安定せず、絵は増え続ける。

この矛盾が、ゴッホという人をいちばんよく表しているのかもしれません。


6. 37 年の生涯(〜1890)

1890 年 5 月、療養院を出てパリ近郊オーヴェル=シュル=オワーズへ移ります。

医師で画家でもあったポール・ガシェのもとで静養しながら、わずか 2 か月ほどで数十点もの作品を描きました。

しかし 7 月 27 日、麦畑で自ら胸を撃ったとされます。

傷を負ったまま宿へ戻り、弟テオに看取られながら、7 月 29 日に永眠。37 歳でした。

最期の言葉はフランス語で、一般に「悲しみは永遠に続く」と伝えられています。


静かな余韻

弟テオは兄の死から半年もたたないうちに病に倒れ、1891 年に亡くなります。

今では二人はオーヴェルで、並んだ墓に眠っています。

生前のゴッホは、ほとんど評価されませんでした。

けれど 20 世紀に入ると、その色と筆触は世界中の画家を揺らし、いまでは最も知られた画家の一人です。

売れなかった人の絵を、後世の人が何十億円でも見たがる。

時間差の大きさまで含めて、少し切ない話です。


💬 本日のひとこと

> I dream of painting and then I paint my dream.

ゴッホの手紙には、絶望だけでなく、妙にまっすぐな希望が何度も出てきます。

夢を見るだけでは終わらず、ちゃんと描く。

この一文は、苦しさの中でも手を動かし続けた彼の姿勢そのものです。

狂気の画家という印象だけで片づけるには、少し惜しい言葉なんですよね。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

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