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パブロ・ピカソ ─ 一生で5万点を残した91年
スペイン・マラガ生まれ。
「ラファエロのように描くには 4 年で済んだが、子どものように描くには一生かかった」と語った男。
キュビズムを確立し、ゲルニカで戦争を告発し、生涯約 5 万点の作品を残した、20 世紀芸術の象徴。
91 年の生涯を、できるだけ静かにたどります。
1. アンダルシアの美術教師の家に(1881〜)
1881 年 10 月 25 日、スペイン南部・マラガ。
パブロ・ルイス・ピカソ(後年は母の姓ピカソを使う)として生まれました。
父・ホセ・ルイス・ブラスコは地元美術学校の教師、母・マリア・ピカソ・ロペス。
伝説によれば、誕生時に呼吸が弱く、産婆は死産と判断したそうです。
祖父ドン・サルバドールが葉巻の煙を顔に吹きかけたところ、赤ん坊は咳をして泣き出した。
葉巻に救われた子が、20 世紀美術を変えるとは誰も思わなかったでしょう。
7 歳で父からデッサンを習い、9 歳で初めての油絵。
13 歳のとき、父ホセは「もう私が教えることはない」と自分の絵筆と絵の具をパブロに渡したと伝わります。
2. バルセロナ、青の時代(1900〜1904)
14 歳でバルセロナのロンハ美術学校に入学。
入学試験では「1 か月でやれ」と言われた課題を1 日で仕上げて合格。
19 歳、初めてパリを訪れる。
モンマルトルの貧しいアトリエに住み、ロートレックやドガの影響で街の労働者・娼婦・道化師を描き始めます。
1901 年、親友の画家カルロス・カサヘマスが失恋で自殺。
この衝撃でパブロは青を基調とする「青の時代」に入ります。
盲人、乞食、母子、貧困 ── 青いトーンで沈鬱に描かれる人々。
本人の生活も貧しく、絵を燃料代わりに燃やして暖を取った夜もあったといいます。
3. ばら色の時代、キュビズム誕生(1905〜1907)
1904 年、恋人フェルナンド・オリヴィエとの出会いで作品の色彩が明るくなる。
「ばら色の時代」── 道化師、サーカス芸人、家族を温かなピンクとオレンジで描く時期です。
そして 1907 年、芸術史上最大級の転換点。
『アヴィニョンの娘たち』(Les Demoiselles d’Avignon)。
5 人の女性を、アフリカ仮面と幾何学的な分解で描いた問題作。
当時の批評家は「狂気だ」と酷評しましたが、これがキュビズムの出発点でした。
親友ジョルジュ・ブラックと二人で、対象を多視点から分解・再構築する技法を発展させていきます。
「もう絵画は同じには戻れない」と批評家アポリネールが書いた瞬間です。
4. ゲルニカ(1937)
1936 年、スペイン内戦勃発。
1937 年 4 月 26 日、ナチス・ドイツ空軍がバスク地方の小さな町ゲルニカを無差別爆撃。
非戦闘員多数が死亡。
ピカソはパリ万博のスペイン館に展示する作品を依頼されており、これに応えてわずか 35 日で巨大壁画『ゲルニカ』(349.3 × 776.6 cm)を完成させます。
モノクロームの画面で、叫ぶ女性、倒れる馬、引き裂かれた子ども、泣き崩れる母親。
特定の戦闘ではなく、戦争そのものの普遍的な恐怖を描いた絵。
ナチス占領下のパリで、ドイツ兵が『ゲルニカ』の写真を見て「これを描いたのはあなたか」と聞き、ピカソが「いいえ。あなた方だ」と返した、という有名な逸話が伝わります。
5. 多様な様式、晩年の創作爆発(1945〜)
戦後のピカソは、ますます多産になります。
- 古典回帰
- 陶器・彫刻・版画・コラージュ
- 鳩の絵(1949 年世界平和会議ポスター)
- マチスとの友情と競争
生涯で7 人の女性と公式・非公式に関係を持ち、4 人の子をもうけました。
最初の妻オルガ、フランソワーズ・ジロー、ジャクリーヌ・ロック ── それぞれの女性が、彼の作品の登場人物に変わっていきます。
晩年の南仏ムージャンのアトリエでは、毎日のように新作を生み続けました。
「絵を描けないと不安になる」と語ったほど、創作が呼吸でした。
6. 91 年の生涯(〜1973)
1973 年 4 月 8 日午前、ムージャンで永眠。91 歳。
妻ジャクリーヌに「もっと飲めばよかった、もっと吸えばよかった」と語ったと伝わります。
遺骸は南仏ヴォーヴナルグ城の庭園に埋葬。
遺された作品は約 5 万点(油絵、素描、版画、陶器、彫刻すべて含む)。
死後、遺産と作品をめぐる問題は複雑化し、周囲の人々にも影を落としました。
それでも、彼の作品は世界各地の美術館で愛され続けています。
静かな余韻
「It took me four years to paint like Raphael, but a lifetime to paint like a child.」
(ラファエロのように描くには 4 年で済んだが、子どものように描くには一生かかった)
13 歳で父より上手だった少年が、91 歳まで「子どものように描く」を追い続けた。
キュビズムも、ゲルニカも、晩年の素描も、すべて 「子どもの目で世界を見直す」試みでした。
5 万点という数字は、ただの記録ではありません。
手を動かし続けることでしか到達できない場所があった、ということ。
あなたの今日の落書き 1 枚も、その続きにあるのかもしれません。
💬 本日のひとこと
「It took me four years to paint like Raphael, but a lifetime to paint like a child.」
技術より純粋さの方が難しい、という逆説。
天才とは「子どものまま死ねる人」かもしれません。
もう少し深く知りたい人へ
- 瀬木慎一『ピカソ』(中公新書) ── 日本人美術評論家による定番。キュビズムの誕生過程が丁寧に解説される
調べたら面白かったので、書いておきますね。



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