坂本龍馬 ─ 「日本を今一度せんたくいたし申候」と書いた33年

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坂本龍馬 ─ 「日本を今一度せんたくいたし申候」と書いた33年

「日本を今一度せんたくいたし申候」。

姉の乙女に宛てた手紙の中で、坂本龍馬はこう書きました。

「洗濯」。日本という国を、まるごと洗ってやり直したい、という意味です。

33歳で京都・近江屋で斬られるまでの龍馬の人生を、できるだけ静かにたどってみます。


1. 泣き虫の末っ子(1835〜1853)

天保6年(1835年)、土佐藩高知城下の郷士(土佐藩で身分の低い武士の家系)に、坂本龍馬は生まれました。

兄1人、姉3人、龍馬本人。5人きょうだいの末っ子で、男としては次男にあたります。

12歳になっても寝小便がなおらない、ひどい泣き虫だったそうです。

姉の乙女(おとめ)は3歳上で、剣術もできる女性でした。

弟の不器用さを叱り、励まし、信じる。

龍馬にとって、乙女が最初の理解者でした。

19歳で江戸に出て剣術修行へ。

北辰一刀流の千葉道場で塾頭格にまで上がります。ちょうどその年、ペリーの黒船が浦賀にやってきました。


2. 脱藩 ─ 帰る場所を失う(1862)

文久2年(1862年)、27歳の龍馬は土佐藩を脱藩します。

幕末の藩士にとって、脱藩は重罪です。家族にも累が及び、本人は事実上、帰る場所を失います。

それでも龍馬は出ました。

土佐藩の枠の中では、自分のしたいことができなかったからです。

脱藩した先で、龍馬は勝海舟に出会います。

勝はこのとき、海軍奉行並(幕府海軍のトップに近い役職)。

ついこの間まで「攘夷」(外国を打ち払うべし、という考え)を叫んでいた青年が、開国・海軍創設派のいちばんの中心人物に弟子入りしたのです。

数年で、考えが反対側へ。

龍馬の柔らかさが、ここでまず出ています。


3. 亀山社中 ─ 民間商社という発明(1865)

慶応元年(1865年)、龍馬は長崎で亀山社中を立ち上げます。

のちの海援隊の前身となる、民間の商社です。

仕事は3つ。

  • 武器・弾薬・船舶の輸入
  • 物資の輸送
  • 各藩・浪士・志士の連絡役

幕府も藩も「公」が経済を握っていた時代に、民間人の集団がお金を稼いで、政治を動かす。

こんな組織は、それまでの日本にひとつもありませんでした。

龍馬は早くから、お金で動く組織が時代を変える、と考えていたようです。


4. 薩長同盟 ─ 敵同士をつなぐ(1866)

慶応2年(1866年)正月、京都の薩摩藩邸。

薩摩の西郷隆盛と、長州の桂小五郎(のちの木戸孝允)が、龍馬の仲介で密約を結びます。

両藩は前年の禁門の変(薩摩・会津と長州が京都で戦った1864年の戦い)以来、血を流して敵対していた間柄。

それを、「幕府を倒す」という一点で結びつけた。

仲介人として中央に座っていたのは、藩士ですらない、一介の脱藩浪人です。

このとき龍馬の手元には、亀山社中で武器を流通させてきたコネクションがありました。

人とモノと情報を持っている者が、政治を動かす。

今でいうスタートアップに近い動き方を、龍馬は150年以上前にやっていたわけです。


5. 船中八策 ─ 新しい国の設計図(1867)

慶応3年(1867年)6月、龍馬は土佐藩参政・後藤象二郎と一緒に船で京都に向かいます。

その船の上で、龍馬が口述したのが船中八策。

新しい国家の骨組みを、8 か条にまとめたものでした。

主な内容はこうです。

  • 大政奉還(将軍が政治の権限を朝廷に返すこと)
  • 上下両議政局の設置(議会の創設)
  • 諸侯の選挙
  • 外国との対等な条約の締結

驚くのは、それから 4 か月後に、徳川慶喜が実際に大政奉還を決めることです。

龍馬の構想と、その後の日本の形には、重なる部分がたくさんあります。

ただし、龍馬本人がどこまで大政奉還の仕掛人だったかは、研究者の間でもまだ議論が続いています。


6. 近江屋の夜(1867)

慶応3年11月15日(1867年)、京都・近江屋。

龍馬は中岡慎太郎と、河原町の醤油商・近江屋の2階で密談していました。

その夜、刺客が襲来。

わずか数分の戦闘で、龍馬は額を斬られて絶命します。

33歳でした。

下手人は見廻組(幕府方の警備組織)説が今のところ通説ですが、新選組説や薩摩黒幕説などもあって、確定的な答えは出ていません。

大政奉還から、わずか1か月後の出来事でした。

新しい国を構想した男が、新しい国を見ることなく散ったわけです。


静かな余韻

「日本を今一度せんたくいたし申候」と姉に書いた青年は、新しい時代の輪郭を描きました。

ただし、洗い終わる前に倒れた。

明治政府の中に、龍馬の名前は刻まれていません。

彼は新しい時代の側に立った人ではあるけれど、新しい時代に住んだ人ではない。

描いただけで去った人の、これは33年の物語です。


💬 本日のひとこと

> 日本を今一度せんたくいたし申候

姉・乙女に宛てた手紙(文久3年、1863年)の一節。

「日本という国をまるごと洗ってやり直したい」という意味とされます。

本人直筆の手紙に残る言葉で、龍馬の思想を最も短く今に伝える一文です。


もう少し深く知りたい人へ

調べたら面白かったので、書いておきますね。

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